先週は1週間なんだかイライラした日が続いた。
特に誰がと言うわけでもなく、なぜか心がすっきりしない日々が続いたので、一人になったときにゆっくり理由を考えてみた。
そしてたどり着いた答えが “弱い者として扱われること” だった。
18歳で日本を飛び出しオーストラリアへ行った私は、世界各国から集まる人々からいろいろなことを学んだ。
特に同い年か少し上の女の子たちが自分に自信をもち、堂々としていたことに感銘を受けた。
当時私が目にする雑誌や広告で、女子の見た目や言動行動を判定するのは、すべて男子からの意見だった。
男子が好きな~、男子ウケの良い~、男子からモテる~と狂ったようにすべてが男子からの目線。
10代の女子には結構きついものである。
それがオーストラリアで会う女性はみな自分が1番だった。
自分が好きなこと、自分がやりたいこと、自分がいいと思うもの。
ある意味わがままに見えるけど自分に優しい分人にも優しくて、そんな人々に刺激され私も強く心に余裕のある女性を目指すようになった。
それなのに同じ海外、だけどイタリアに来て良くも悪くも“弱い者”として守られることは、私にはストレスだということに気が付いたのである。
※大半のイタリア人女性は気が強い印象です。周りから見て明らかに外人、気が弱そうだと舐められて下記のような対応をされているのかもしれないので、筆者の少し悲しい体験として読んでもらえれば嬉しいです。
ここ数週間で“小さい子”として対応されることが続いた。
まだ50代のおばはいつも通りかわいい、小さい子と連発し頬をなでてくる。
移民局で指紋をとるときは、女性職員が私の手を見て「まあなんて小さな手!」と言う。
婦人科で子宮がん検診の際に痛みを訴えたとき「そうでしょう、あなた(の体)は小さいもの!」と女医から言われる。
一応言っておくが私は周りと比べても背は低くないし細くもない、別に可愛らしい顔つきでもない。
女性からピッコラ(小さい)やカリーナ(かわいい)を言われることは、幼く見られてるようで好きではなく、はっきり言えば不快である。
でも全く悪気がないのがわかるので指摘するのも違う…
しかしどうしても侮辱的に感じてしまうのである。
さらに男性は、女性はか弱い者と認識していると実感する。
か弱い者=守られるもの=力仕事はさせない
か弱い者=攻撃してこない=ヤジを飛ばす
他の男性と同じように重い荷物を運ぼうとすれば、やめなさい!とまるで子供に話すかのような口調で止められる。
通り過ぎるトラックの運転手はクラクションを鳴らしたり、窓から身を乗り出して舐め回すように見てくる。
気にしなければいいだけの話だが、今まで経験してこなかった屈辱の連続で、眠りにつけないほどストレスになった。
別に私はフェミニストでも過度なジェンダー論があるわけでもないが、さすがに度が過ぎている。
今度からは一部のイタリア人女性のように、谷間を出して唇を尖らせてみるべきか。
言葉が十分に分かればもっと強く出れるのかもしれない…と久しぶりに悔しくて涙がでた夜。
しかし移住したての頃は何を言ってるのかさっぱりわからず、一人で歩くのが怖かったのを思い出し、自分の成長を誇らしく思った。
自分の機嫌は自分でとる。
毎日の小さな幸せも忘れないようにしたい!
ヨーロッパ旅行をお考えなら!