オープンに話されるカウンセリング

カウンセリング

近年日本でもオープンに話されることが多くなった精神的な体調不良。

しかしそれでもカウンセリングを受けたり病気だと打ち明けるのには、まだまだ勇気が必要な状況ではないだろうか。

ここイタリアでは国民性からほとんだが楽観的で陽気、心も健康と思い込んでいたが、どうやらそうではないようにみえる。

ここ数年でカウンセリングに通っている知人が2人おり、最近もう1人も通い始めた。

ちょっと行ってみるか~とジムに通い始めるような気軽さで始め、友人にも共有していた。

最初は驚いたが、周りがそこまで大げさにもしないので素敵なことだと思った。

さて、通う理由はそれぞれだが、人間関係というより30歳の壁ではなかろうか。

ここイタリアでも大体30歳を超えた辺りから、結婚したりパートナーを持つ人が増える。

そうなれば生活スタイルは当然変わってくるであろう。

人生設計の中に自分のパートナーがいて、自分だけが中心の生活はしなくなる。

そこで戸惑うのはパートナーを持った本人ではなく、今までシングル同士としてやってきた周りの友人。

パートナーを持った友人の生活スタイルの変化を理解できるかどうかが、それからの自分の生活を楽しくできるかを左右すると思う。

特に最も親しい友人にパートナーができた場合は。

前述した知人らは、ここでの戸惑いが大きかったのではないだろうか。

あいつは結婚して、あの子は家を買って、彼は仕事が順調だし、彼女にも遂に彼氏ができた…など、自分の良いところより、自分になくて相手が持っているものばかりを見て比べて、落ち込んでるように見える。

結構この落ち込みが激しくて、見ているこちらも何と声を掛けたらいいのかと戸惑う…

私は美人でもなければなんの取り柄もないのに常に前向きでなぜか自己肯定感が高いので、そんなメソメソせずに頑張れ!もっと自信をもって!と残念だが思ってしまうのが本音である。

しかし現実そんなことが言えるわけもなく、ただただ何気なくいつもより少し多めに連絡を取ることを心掛けている。

それにしてもカウンセリングを受けていることや精神的な問題で医者にかかっていることを恥じない、自分に助けが必要なことを隠さない彼らの勇気はすごいと思う。

しかも友人同士が同じカウンセラーのところへ通っていたり、カウンセラーと友達だったりする。

今の若い人たち、特に中高生にもこんな場を設けてあげて欲しい。

自分が学生だった頃はカウンセリングなど未知の世界であったから…

こぼればなし

夫は彼の両親と親友のような距離感である。

そこまで話すか?とあきれるくらい詳細まで共有し、両親もそれを当たり前のようにとらえている。

そんな両親から愛情をたっぷり受けて育った夫は、ものの受け取り方が私と全く異なることがあり感心させられる。

例えば…

「小さいとき親父が俺をチャリの後ろに乗っけてたんだけど、そのまま倒れて俺はケガさせられたんだよ」

「親父は俺のお迎えをすっかり忘れて一人ぼっちで泣きながら待ってたこともあったんだ」

義父が心配になるようなエピソードがちょくちょくあるのだが、これらを全部笑いながら話す夫。

私だったら悲しくて思い出したくないような話も夫は笑い飛ばすので、結局みんなに大切に育てられた自覚があるのだろう。

私にはない物事のとらえ方をする夫から学ぶことが毎日ある。

その引き換えに私は脱ぎ捨てられた夫のパンツを拾うのである。

毎日…そう毎日。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA