日本語を教える

ローマに移住してきて5か月たったころから、ちびっこに日本語を教えている。

ある日町中でお茶していた時、日本語を話す日伊ハーフのお母さんに話しかけられ、この出会いにより初めての仕事を得て今に至る。

日本語に楽しく触れてほしいというちびっこ兄弟のお母さんの希望により、教えるというよりは日本語を使って遊んでいるだけだが、そう簡単ではなかった。

ちびっこ兄弟のお兄ちゃんは日本語大好きな上会話も何となく理解できるが、妹の方はあまり日本語が好きな様子はなくやる気もない。

やる気のない子に日本語を話させるのは難しく、はっきりと日本語なんてやりたくない!と言われたときは返す言葉が見つからなかった。

今後はどこを目指して頑張ればいいのかと正直疲れてきたところであるが、日本語を勉強しないで済むときはとびっきりかわいいので見放せない…

さて、1か月前から新たにこの兄弟のお友達1人が私の生徒にが加わった。

8歳の坊やである。

坊やの母親がなにか他の言語を、ということで本人も興味がある日本語を選んだらしい。

スペイン語でも中国語でもなくなぜ日本語…と少々疑問が残るが、我が母国語を選んでくれ嬉しい限りである。

この坊やは本格的に学びたいようなので、机に向かい勉強することにしたが、このおかげで教えるということの難しさを改めて感じている。

生まれたときから自然に話してきた言語なのでどう教えられたか、またどう習えばわかりやすいのかが全く分からない。

加えて私はイタリア語が話せないので、英語が通じない子供には少々説明不足であったりするが、有難いことにこの坊やにはまだそれほど多くの疑問がないため、難なく授業が進んでいる。

しかし私の絵があまりにも下手くそという坊やの指摘があったので、来週からは教科書を使って勉強することになった。

「チミの夫はイタリア人?彼は何も教えないの?イタリア語もっと話すべきだよ」とまだ舌足らずの坊やは言うが、「君が日本語話せるようになって~、お願い」と返す私。

子供は悪気なく本当に正直である。

ずいぶんと性格が丸くなったな~と自分でも思えるのは、壁にぶつかってばかりの海外生活のおかげであろう。

また明日も坊やと日本語を勉強する。

彼は日本語を学び、私は教え方や子供という存在を学ぶのである。


前回坊やに授業したとき、イタリアの子供はスペルを習うのか~と初めて気づかされました。

日本語は平仮名がわかれば聞いたものを書けるじゃないですか⁉

だから5月(Maggio)のスペルを私に聞いてきたときに、そうか彼らは綴りを学ぶのかとなぜか感動。

日本人は漢字、イタリア人はスペル。

そういえば自分も一生懸命勉強してきたんだ、と子供のころの努力で今があることを思い出させてくれました。

子供はすごい、、、

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