アジア人差別

先日アイリッシュパブへ出かけた。

食後にジェラートのつもりがビールの気分になり、コロッセオまでドライブしたのである。

気分よく店内へ入り私はビールをオーダーし、卓上のサッカーゲームをしていたがコインがなくなり、両替を頼もうかと話してる時、ちょうど通りかかったおっちゃんがコインをくれた。

お礼をして、またビールを頼みにレジへ行くとそのおっちゃんがおり、ニーハオと私にあいさつした。

えっ…

いい人だが面と向かってニーハオ…悪気はない無知なタイプだと察したが、やはり腹立たしい。

こんなふうに差別意識なく中国語で話しかけてきたり、つり目のポーズをしてくるイタリア人は思いがけずたくさんいる。

いつも楽しく話す同僚やお医者さんの友達など、しっかりと教育を受けてきた人もいきなり私に釣り目のポーズをしてくるものだから本当に驚く。

だったらいつから釣り目のポーズは差別的なものになったのだろうかと、逆にこちらが考えさせられてしまう。

アジア人を一括りにし、すべてに中国語が通じると本気で思っているのか、またはアジア人を揶揄してそうするのか…いろいろと悩みは尽きない。

さて先ほど述べたおっちゃんのような、明らかに悪気はなさそうな人だと判断できれば、私は迷わず注意する。

私「なんで中国語が通じると思ったの?」

おっちゃん「え?」

そこでこれを聞いていた店員さんが「彼女は日本人だね」と突っ込む。

私「そう私は日本人。中国語は知らないし話さない。」

おっちゃん「ああ、ごめん」

私「これからはアジア人を見て中国人だと決めつけ、ニーハオと言うのはやめるべきだね。とても侮辱的だよ」

まだ何十年も生きるであろうおっちゃんに、このまま無知なまま生きてもらっては困る。

それにイタリア人のことだから周りの知人や友達に、こんなことがあったと話してもらい、おっちゃんの周りの人にも理解してもらえれば…と期待も込めて話す。

ちょっと言い過ぎたかな…と思ったが一緒に卓上サッカーゲームを楽しんだので、大丈夫だったと思いたい。

“人種差別はダメです”と子どもに言うのは、ピュアな心に逆に人種差別意識を植え付けるようなもの。

かと言ってなにも学ばずに育てばなにも知らない人になる。

現にいい大人や若者でさえ、無意識にアジア人差別する。

世の中の人種差別も残念ながらなくなるには程遠いだろうが、無知な人に会えばなるべく事を説明し、少しでも不快な気持ちになる人が減ることを願っている。

人種差別は難しい問題である。

私がイタリア人は、ヨーロッパ人はと言うのも、もしかしたら誰かにとっては差別的に聞こえているのかもしれない。

コロッセオは今日も美しゅうございます。

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