宗教と国民

毎朝アーメンと唱えたこと以外覚えてないが、私は一応キリスト教系幼稚園へ行った。

一方で毎年夏に仏教の祖父母宅を訪ねては、お経を唱える祖父の隣で手を合わせてもいた。

これが私にとっての当たり前であったが、お食い初めや七五三をやったかと思えばクリスマスプレゼントも送るなど、熱心な宗教信者から見ればあり得ないことだろう。 

さて今回はカトリック教の宗教行事、洗礼式に参加させてもらったときのお話。

 イタリアの洗礼式

夫の親しい友人の子供の洗礼式があり、教会とその後のパーティーに行ってきた。

洗礼式とは何かと思うが要するにキリスト教に入信しますの儀式である。

この日は4家族合同で教会で行われ、ほぼ全員が清潔感のあるおしゃれな普段着に、赤ちゃんへのプレゼントを持参して参加。

選ばれたゴットファザーとゴットマザーは、事前に3回講習に行かなければならない。

一生の付き合いになるその二人は当日ドレスアップし、伝統としての金のアクセサリーを贈っていた。(女の子の赤ちゃん)

洗礼式後のパーティーは各々。

次の日まで家族親戚友達で盛大なアペリティーボさらに巨大なケーキなど、誕生日より派手ではないかと思うようなパーティーが続き、洗礼の大切さを知った。

※私自身カトリック教徒ではないため、詳しいことへの言及は避けます。

 国民とカトリック教

教会で洗礼式が始まり一言目に声をそろえて「Jesus Christ」そして十字架を切るまでの動作が出席者みんなでそろっていて、謎の一体感に思わず笑ってしまった。

そのあとも起立の度にsiだかJesus  Christの返事、そして主の祈りまでみんなが唱えられることに驚いた。

普段は宗教を鼻で笑う夫さえしっかり声を出しており、なぜすべての段取りを知っているのかを聞けば「わからない、自然に出てくる」と言われただけ。

私立の学校はほぼすべてがカトリック系、公立にもカトリックのクラスがあり小さいころから家庭や学校で当たり前のこととしてやってきたらしい。

なんせフランシスコ教皇の住むイタリアである。

国教ではないものの未だにカトリック教会が根付いて、それを身近で感じることも多いイタリア。

日本人には宗教が身近であるにもかかわらず重要性は感じないだろう。

神道、仏教、キリスト教からの行事を楽しむだけである。

宗教を説明するときに私がキリスト教と言うのに対し、何派?カトリック?と突っ込んでくる友人にそうかそこも大切だったか…と自分の無知を恥じる。

この日教会にいた皆が当たり前だったことが日本人である私にはおもしろかったように、外国から日本にやってきた人が神社のお参りや日本のお葬式に参加すれば、日本人が当たり前にやることが不思議に映るだろう。

いやしかし、世界が日本のようだったら、宗教戦争など存在せず平和だろうに…と思わずにはいられない。

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