誕生日と苦い思い出

先週末は私の誕生日だった。

毎年誕生日は誰とどう過ごそうかとなぜか気持ちが落ち込むが、その日が来れば意外とあっさり終わってしまうものである。

日本にいたまだ学生だった頃、友達や家族がお祝いしてくれるのが嬉しかった。

私もプレゼントを買ったりどこか出かけたりして、誰かをお祝いするのが大好きだった。

ところがオーストラリアに行き世界各国の人々に囲まれると、誕生日は自分自身で楽しくする派もいることを知った。

自分から誕生日をアピールしお祝いしてもらう場を設ける。

すべて奢りと言うわけではないのだが、誕生日を重視する欧米人はできる限り必ず参加していたように思う。

なかには誕生日に興味が無かったり、外国だから(友達は皆オーストラリア人でない)今年はなにもしないわ~という人もたくさんいた。

そんな時は周りが「なに言ってるの~飲みに行きましょ!」となにかをすることもあったり、そうよね~といつも通り過ごすこともあったり。

結局誕生日はその人が自由に過ごす日、ではなかろうか。

イタリアの誕生日はと言えば…

当日は誕生日の本人がみんなにお酒を奢る習慣がなんとなくあるようだが、出かける欲がなくなったか、30歳過ぎたからか、忙しいのか今年は夫の友人たちをあまりお祝いしていない。

しかし誕生日の電話やメッセージは絶対忘れない。

これが結構怖い…

今はイタリア語が話せないから許されているが、この先イタリアの家族親戚全員の誕生日を覚え電話を掛けることを忘れない自信は、申し訳ないがゼロである。

さて、私は今年も夫と2人でキャンプに行くことにした。

キャンプと言っても今回は砂浜にテントを張るだけだったが、目覚めとともに海を見れるのは最高に幸せであった。

砂浜のテントと言えば私には苦い思い出があって…

昔その昔、あるときポーランド人の男の子と2人で砂浜にテントを張って1泊しようと言うことになった。

少し変わってる優しい人だったが、彼だからかポーランドの国民性だからか、男としてのプライドが高く傲慢なところがあった。

ポーランドは親日が多いこと、古風で結婚も早く自分は24歳にして結婚を急かされてること、長く付き合った大好きだった彼女がいたことを教えてくれた。

男女でテントに1泊となればまあなにが起こるか予想もつくだろうが、結局上手くいかなくてなんとなくぎこちない雰囲気で迎えた朝。

彼はなにやら電話した後、仕事が急に入ったから帰ると言う。

島に私をひとり残して…

最初で最後だった砂浜のキャンプが“たった1度の”でなくなり、なんとなく苦みが薄れるかなと思ったがそんなことはなかった。

残ってしまうなら、当時の呆れや虚しさも良き思い出にしておこう。

あの変わり者、元気にしてるかな…

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